第二話:女教皇の来日

 

四月一八日。午後二時一五分。空港ロビー。

 

カバンを持ち、急ぎ足でロビーを歩く人々がチラリと盗み見る一組がいた。

一三歳ほどで、黄金を溶かしたようなショートの金髪。一流の職人が仕立てた純白のドレスを着ている。

何より、興味と好奇心であたりを見渡す金色の双眸が、彼女をさらに可愛らしくして、仕方がない。深窓の姫君が初めて触れる世界は、弾けるような笑顔を零していた。

しかし、その姫君とはまったく似つかわしくない男性が隣に並んでいた。

身長一九五センチは有にある長身で細身。しかし、その肉体に何ら鈍重さも、脆弱なイメージはない。ギリギリに絞り込んだ鋼を思わせる肉体である。

刃物のような精悍さを持つ顔を飾る、処女雪のような髪を後ろに流し、初春の日差しを遮るサングラスに、黒いスーツを身に付けている。

左手には長い筒のような荷物とショルダーバック。そして右手に少女の荷物であろう、アタッシュケースを持っていた。

この一組を見て家族とは誰も思わない。むしろ、ボディーガードとお嬢様というのが、行き交う人々の感想だった。

妙齢な女性から、中年男性まで少女の笑顔を見るだけで微笑むが、その視線にいち早く気付く男性は、サングラスから覗く物質的なプレッシャーで撃退するのを、延々と繰り返していた。

中には男性の眼光を真っ向から受けて、恍惚している女性も数名いるが、それは捨てて無視することにする。彼にはその手の女性は全て、奇妙にしか見えない。

無遠慮に見窺う人々に、嘆息するカイン・ディスタード聖堂枢機卿長は、腰の高さもないラージェに視線を移す。

普段なら、この場で膝を折って進言するのだが、イタリアの航空内で

禁止です。命令です!」と、怒りを露にしていたので、二度目の愚を起こさぬようにした。


ラージェ様。ここはあまりにも人の目に付きやすいです。早くミドー卿と合流しましょう

 スペイン語の会話を盗み聞けるものは、行き交う人々にはいないため、誰に聞かれる心配はない。が、やはり畏れ多いのか声は普段以上に硬かった。


あっ! あれはレイジさんでは?」と、ラージェの指差す方向に目を向けたカインは度肝を抜かれた。

 左耳にある金色のピアスが初春の陽光を照り返し、白のワイシャツに赤いネクタイ。その下は黒のレザーパンツにバイカーブーツと、聖堂最高位たるラージェの前では、とても相応しくない。

しかし、それより目に入る旗が問題だった。

それも何か絵が書かれている・・・・・・・・・あれは、ラージェ様の似顔絵か!


レイジさんは絵が本当、お上手ですね〜

 朗らかに微笑むラージェだが、カインにはそんな余裕などない。大股に、急ぎ歩きをしていたが、その足は猛スピードで駆け走って巳堂霊児の胸座を掴んだ。両手に持った荷物などお構い無しに。


レイジ〜? これは何の真似だ? 出迎えるにしても、畏れ多くもラージェ様の似顔絵など!


いい歓迎の言葉を考えてたんだけど、ラージェちゃんは絵を気に入ってくれたからさ〜三時間掛けて描いたんだ。いい出来だろう? それよりオレにも解るように英語で話せよ、カイン?

 スペイン語が解らない霊児は、得意気に英語で返す。カインの言葉はまったく通じていなかった。

 何故、俺の部下は・・・・・・・・・と、ブツブツと言い始め、その呪詛を怒声と共に英語変換。


×××××ジャ×プ! もう、我慢ならねぇ! てめぇの空っぽな頭を真っ二つに叩き割って、スパゲティーのように腸を撒き散らしてぶっ殺すぞ!


あぁ? 何だとこの白豚のマザー×××××が! 若白髪をてめぇの脳漿に染めてやろうかぁ!

 互いの胸座を掴み、刃物でも出しかねない勢いで睨み合う二人。

 聖堂内で一番有名なのは、今代〈剣〉の称号を持つ二人は、犬猿の仲であることだ。

 柔和で誰とでも気さくな霊児。対して、他人と己に厳しいカイン。

 人気はあるが、部下の育成が出来ない霊児。対して、付いて来る者は少ないが精鋭を育てることの出来るカイン。

 あらゆる要素で、水と油の二人は顔を合わせれば衝突をする。


仲がいいんですね? カインさんがこんなにはしゃぐなんて。これだけでも、日本に来た甲斐がありました


 そんな二人に追い付いて来たラージェは、交互に見上げて朗らかに笑い、霊児にも解るように英語で紡ぐ。ラージェのみが、聖堂のゴシックネタをまったく知らない。


「「絶対に違いますから」」

 息のあった否定にも、ラージェは微笑みを向けるばかりだったが、ふと小首を傾げて二人を見上げる。


×××××や×××××と、知らない英単語が出てきましたが、どんな意味ですか?


「「知らなくても結構です」」

 首を横に振る二人。

気になります、マザーなら解るのに・・・・・・・・・と、呟きながら熟考するラージェをよそに、殺気漂う互いの眼光を叩き込む。


 ――――巨人と竜をも屠る、我が一刀で殺す!


 ――――神速の一太刀をもって、殺してやる!

殺意の眼光を絡み合わせる二人を見るラージェは、久しぶりに会うから言葉が出ないのだろうと、まったく違った感想を持っていた。

だが、絵を見て何かを思い出したのか、睨んでいる霊児の裾を引っ張った。


それよりレイジさん? パンダ君はどこでしょうか?

 ラージェの何気ない言葉に、凍りつく霊児とは裏腹、カインはゆっくりと唇に弧を描く。


パンダ君は、今は何処に?


パンダ君は今、世界の巨悪と闘っていて・・・・・・・・・中々、忙しいから・・・・・・・・・

純水無垢な瞳の光線に、霊児は目を背けて言う。

 カインは霊児に近付くと、逃げられないように腕を肩に回して邪悪に囁く。


そうだった・・・・・・・・・我々は、パンダ君に会いに来たのだった・・・・・・・・・で、パンダは誰だ? 〈悪魔憑き〉か?


パンダ君は正義のヒーローだ。知らないのか? 正義のヒーローはピンチの時にしかやって来ないんだぜ? それより、その腕を退けろ。ラージェちゃんにオレ達がデキてるみてぇに見えるだろうが?

ラージェに聞こえないよう小声で囁くものの、カインの猜疑的な瞳はそのままだ。霊児はその眼光から背けもせず言いつつ、邪魔な腕を乱暴に払う。

そして、自制心を働かせてラージェへと、辛そうに顔を向ける。


パンダ君には会えないけど、代わりに動物園のパンダを見ようぜ? あそこならパンダ君の仲間がいっぱいいるから


 パンダ君の仲間が、いっぱい・・・・・・・・・

頭の中でたくさんのパンダくんに囲まれるのを、想像するだけでラージェは微笑んでしまう。


今すぐ、行きましょう!

勝ったと、心の中で霊児はガッツポーズ。


ああ、レンタカーも借りているからすぐに行けるぜ?

霊児の言葉に、ワイワイとはしゃぐラージェを見窺う霊児は、未だ猜疑的な眼で見ていたカインも嘆息して、霊児から一歩離れて床に転がる荷物を拾い上げる。


今回だけ、見逃してやる。それより――――

 
 今度は何だよと、頭を掻きながら向き直る霊児。


レンタカーの気配りに感謝する

 
 
カインは、霊児の前を通り過ぎ様に呟いた。

霊児の顔は、だからお前が嫌いなんだと書かれていた。

呼び名は違うが、互いに剣。種類は違うが、それでも剣の刃は鏡のように映す。

刀は家族を殺した吸血鬼を、復讐鬼となって斬り捨てた。

剣は己を生み出し、母を道具のように扱った悪魔の父を叩き切った。

霊児は己の無力さ、愚かさ、傲慢さ、狭い視野、死に急ぐ無謀さで最愛の人を失い、復讐鬼から聖者や、仙人とまで呼ばれる。

カインには意義を与え、剣を与え、愛を与えてくれたラージェの姉である先代の女教皇を失う代償に、道具から聖騎士となった。

互いの過去に相違はあるが、愛する人を失うまでの過程が似過ぎていた。

衝突するのはそのためだと、二人とも理解しているが、馴れ合いなど無意味とも理解している。


「むかつく・・・・・・・・・キャラが被るとこが、特に・・・・・・・・・」

 鏡のように、己の惰弱さや愚かさを等身大に映されれば、誰でも眼を反らす。それは、霊児でも例外ではない。

しかし、今の彼はそんな精神分析をする余裕はない。霊児は遠くなっていくカインとラージェの後姿を注意しつつ、金色のピアスに手を伸ばした。

空港の雑踏とは違う、電波の雑音が鼓膜を震わせる。


「こちら、ソード」

 暗号名を小声で繰り返す。


「ウィッチ、応答せよ。チャンネル、ゼロ・ゼロ・R」

 素肌に貼り付けたマイクから霊児の声を拾い、超小型のピアス――――ガートス家私兵部隊のトランスミッターから、複雑な雑音が重なり合う。

 先ほど、カインに肩を回されたときは冷や冷やしたが、何とかなった。あとは、相棒との連携を保つだけである。

永遠のような長い数秒後、雑音は消えて玲瓏な相棒の声音が小さく響く。


『こちら、ウィッチ。どうぞ』


女教皇(プリンセス)魔剣(カーズ)に接触。これよりプランAを決行」


『ヤー。了解』


太陽(ソル)の動向は?」


『Cチームからの連絡では、イチニ・・・・・・・・・失礼、一二時五六分にて駅前交差点で一五から一四歳の少女と一分間の会話後、一三時三七分に不城町の自宅へ帰宅。異常無しです』


「了解。オレはこれから動物園へ行く。出来ればスパークの協力も考慮せよ。通信は以上、定期時刻にまた連絡する」


「了解。幸運を」


 最後に相棒は霊児の身を案じた声音を残し、元の砂嵐のような雑音へと変わる。ピアスから手を離し、電源をOFF。

大きく深呼吸をして二人の後を追う。

 空港ロビーの扉を抜け出ようとする二人を先導し、レンタカーのキー操作で駐車していた車のロックを解除する。


助手席に乗りたいです


ダメです。運転するミドー卿の邪魔になります


 にべもなく断られたラージェのシュンとする姿は、とても可哀想に思える。霊児は嫌々、カインの耳元に小声で囁く。


良いじゃねぇか。好きな場所に乗せても?


いや、念には念を入れなければならない。それに――――気付いているか?


何が?


先ほどから視線を感じる。空港の屋上からだが、見るな。気付かれるぞ


 鋭い――――と、内心で舌打ちした。


 現在、霊児のサポートとしてガートス私兵部隊のAチーム一〇人が、変装術と尾行術を駆使して、半径二〇〇メートル範囲で監視しているのだ。

 それを視線だけで見抜くカインだが、褒めたい時ではないので、苦笑を精緻に作り上げて言う。


お前の白髪頭が珍しいんだろう? それより、あの白人系の女は何だよ? さっきからお前を見てるぜ?

 カインが空港のドアに立つスーツを着た女性に視線を向けると、同時に霊児はタイピンの光反射で退避せよと、信号を送る。

 屋上の人物は信号を読み取って、すばやく屋上から退却を実行。すぐさま違う衣服と鬘を纏って、合流することだろう。そのコンマの最中でカインに視線を向けると、嫌そうな顔をしていた。


あれは・・・・・・・・・すまんが、ラージェ様を頼む


誰だよ?


部下だ


 そう言って荷物をトランクに詰めると、再び空港のドアまで戻っていく。


「アイツのスパルタに付いて来られるヤツなんて、義理やら人情やらと喚いているアンソニーだけかと思っていた・・・・・・・・・」

 珍獣を見るように、その女性を遠目で見窺う。

 上下黒のスーツを纏う男装の麗人は、栗色のサッパリしたショートに、青い双眸。まだ、少女の面影を残していた。

近付いてくるカインにオドオドしている。叱られることの怖れと、気付いて近付いてきたことへの嬉しさが半々という、複雑な笑みだ。

後部座席の窓から頭を出したラージェも、霊児と同じ視線を辿るとあぁ〜と頷いていた。


あの人は、ディアーナ・マキシミリアンさんです。一八歳で、今年の二月に悪魔払い機関所属しました。位階は九位の
基盤(イェソド)。悪魔行使の許可は降りていません。カインさんの命令をこなし、実務面や実行部隊指揮の能力に長け、将来有望視されている女性です。何かと、カインさんと一緒に居ようとする傾向が見受けられます

 淡々と、カインと話している女性のプロフィールを述べるラージェに、霊児は苦笑した。


もう良いって。何だか、聖堂全員の身長、体重、スリーサイズまで言う勢いだ


言えますが? 責任ある立場ですから。せめてこれくらいは、覚えておきたいです

当然のように言うラージェに、霊児は失言だったと頭を掻いた。

遊び盛りの少女は激務に耐え、何時の間にか死んでいく部下の名を、一人も零さず覚えている。

塔の上で安生しているのを嫌い、このような容で心に刻んでいる。重い空気を変えるために、何か良いものでもないかと探していると、カインは踵を返してこちらに戻ってくる最中だった。

ディアーナはカインに何を言われたのか、涙を流したまま呆然と立ち尽くし、カインの背中を見詰めていた。


話は付いた。行くぞ


 どう見ても、決着が付いたようには見えない。


なんて言ったんだ?


お前では護衛の戦力にはならない。ただちに本部へ帰還し、職務を全うせよと、言っただけだ


 そりゃ酷いぞ、鈍感白髪。


まぁ〜しゃあない、本当の事だ。基盤に登れる実力は買うが、この鬼門街は十代で上り詰めるヤツがザラだ


そう通りだ

 霊児の意見に頷くカイン。

ここ鬼門街は霊地として、最高峰の最高地。聖堂の全機関では、天狗になろうとする人間に、言い含める事が出来る魔法の言葉がある。


 ――――なら、鬼門街に行け。三日、その自信を持てるなら、お前の靴裏を舐めてやる――――と、言うほどここは魔術師達が集うが、自信を維持できる魔術師はそうはいない。


それに――――

 カインは、チラリと立ち尽くしているディアーナを盗み見て、呟く。


アイツにはまだまだ、働いてもらわなければならない。問題児ばかりの部下の中で、一番まともだからな

 そうディアーナの評価で、締め括って助手席に座るカインに霊児は苦笑しながら、運転席へと乗り込んだ。エンジンを始動させ、アクセルを踏み込んで発進させる。

交差点前の赤信号で止まる頃、ふと霊児はハンドルを握りながら、首を傾げた。


なぁ、問題児ばかりの部下って、オレを遠回しにバカにしていないか?

いまさら気付いたのか?

 癪に障るカインの嘲笑に、怒りを抑えるほど霊児は寛大ではない。

狭い車内で再度空港ロビーの再現した。

 後方車両のクラクションを浴び、ラージェの仲裁も虚しい勢いで取っ組み合いと、罵倒の嵐が狭い車内で吹き荒れた。

 

 

 

 四月一八日。午後二時二〇分。

 


「ただいまぁ〜」

「おう。おかえり」

おれは玄関入り口で酒の入った買い物袋を置くと、居間からとっても男っぷり溢れる女性の声が聞こえて来た。

背筋が薄ら寒くなる。喉はカラカラに渇き、唾を飲み込んでから呼吸を整える。だが、冷や汗で背中に貼り付くシャツの感触は、気持ち悪い。

 恐る恐る、居間に入る。胡座をかいて新聞紙を広げる赤い髪の女がいた。

 女性らしい態度ではないが、内側から輝く存在感と類を見ない美貌がやれば、作法が媚びとしなを作る嘘っぱちだと、一蹴しているように見えてしまう。

 ニッコリ・・・・・・・・・何ていう笑みではなく、ニヤリと歯を剥く肉食獣のような笑みを作る、我が母、真神京香。

 実の息子が言うのも、何だがムカツク位、自他共に認める美人で、息子のおれには自慢にもならない。

 母として女性としては、内部に致命的なまでに欠陥があるにも係わらず、外面は超一級品。ファッションデザイナーの仕事を精力的にこなし、家事能力は美殊を凌駕する。

年齢は・・・・・・・・・死にたくないから、考えない。


「久しぶりだな、誠?」


「おっ・・・・・・・・・お久しぶりです・・・・・・・・・」


「苦しゅうない。まぁ、座れ」


 居間のテーブルで胡座をかく母ちゃんは、手招きする。おれは、ビニール袋を横に置き、反対側に座る。


「美殊のヤツはどうした? いつも手を二回叩いたら「御前に」って、すぐに現れるのに?」


「買出し。お客さんも来るって言うから、何時もより気合入れて出掛けた」

このような会話をすれば、養女の美殊を虐待と思いがちだが、この二人の趣味というか嗜好というか、妙に時代劇好きだからこれで通じる。

 寧ろ、実の息子であるおれが、母ちゃんの虐待を受けている。


「そうか〜美殊も張り切るな。で、お前は何でそんなに態度が硬いんだ?」


 苦手なんだよ、アンタが。


「まぁ、自分でも認めちまう位の美人だからなぁ〜私は・・・・・・・・・」

 特に、そういうとこが!

 そんなおれの胸中も知らず、母ちゃんはパリやローマから、買ってきたおみあげをテーブルに広げ、一人で勝手に見上げ話を喋り続ける。


「それでよぉ〜ばったりとダチの妹に会ってさぁ〜? 溜まった休暇を利用して観光するって言っててさぁ――――」

 おれは母ちゃんの話し何て、上の空だった。そんな余裕なんてまったく無いほど、緊張を強いられていた。

 居間は、母ちゃんが居るだけで空気が暑いのだ。

 猛暑の真っ只中に放り込まれたような感覚に襲われる。

 居間にある温度計を見ると、デジタル表示の数値は一八度。しかし、おれの目には母ちゃんの背中から陽炎が揺らいでいる。

 このような場所や、人物、そして物に浮かぶ陽炎のような現象は、それらが持つ生命力が起こしているらしい。

昨日の晩あたりに、美殊に説明を受けている。母ちゃんの話しを遠くに聞きつつ、思い出そうとする。

美殊の話しでは、確かこうだったはず。

 



「万物の全てには必ず、生命力があります。有機物であろうと、無機物であろうと容のある〈モノ〉全てです。

魔術師は万物に存在するそれらを、自分の生命力として容にし、変換するのが共通です。それを魔力と呼びます」

私やマジョ子さんで一例をあげましょうと、言いながら説明を続ける。


「私の場合は符札を媒介とし、属性のラインを通しての召喚魔術です。

長所は召喚した対象が、召喚した人物の近くにいれば精密さと、膂力が増します。ですが、逆に召喚した人物の目の届かない場所まで離れると、力を失って構成が霧散してしまいます。

マジョ子さんは私よりも上位の召喚魔術を駆使し、契約している悪魔に呪文と命令で楔を打つ魔術です。

長所は、命令を遂行するためならどんな距離だろうと、構成の霧散はしません。

短所は逆に命令が仇となり、複雑な行動をとれません。単純に〈探す〉、〈壊せ〉、〈連絡〉などと私とは反対です。

それら魔術師の共通する視線からでは、魔力と、万物に存在する生命力が重なり、その人物の周りに陽炎のようなモノに見えるんです。

その陽炎のようなモノが大きければ大きいほど、本人が持つ生命力や魔力が桁違いという訳です」

なるほど――――と、頷く。

確かに今のおれなら、美殊の周りに小さな火花を散らす輪郭が見える。

しかし、そこで霊児さんが何故例に挙げなかったのかという、疑問が生じた。

あの人の場合、空気のように自然で落ち着けるのに、身の引き締まる心地良さすらある。

一切の不快を感じさせない、珍しい気配を持っている。

それを問うと、美殊の顔はムッスとしているような、それでいて峻厳な表情を作った。


「あの人は魔術師と分類できません。いえ、正確に言えば巳堂さんは魔術師ですら、ありません。魔術知識は私と同程度で、魔術能力は皆無。ですが――――」


 息を吸い込み、自制を働かせ、おれの目を真っ直ぐ見て言う。


「〈気〉という、肉体に宿るエネルギーを自在に操る人です。
(チャクラ)という七つある輪を開けば、悟りを開くというモノがありますが・・・・・・・・・巳堂さんは信じられないことに、七つある輪を開いた人です」


 何だか、遠回しに霊児さんを馬鹿にしているように聞こえたが、話しの腰を折らないように聞き流した。


「巳堂さんはそれを駆使し、魔術師の
達人級(アデプト・クラス)の中で、三本指に食い込んでいます。気を用いたあの人にとって、雑草一枚が名刀。鋼鉄なんて豆腐のように切り離したりも出来ます。戦闘経験で培った技術と、未来視と分類出来る直感は、他を寄せ付けない個人戦闘能力です。

巳堂さんと一対一で闘おうとする時点で、敗北は決定しています」

確かに。あの巨大なキングギドラの攻撃は、奇襲以外当たらなかった。それも必要最小限で躱し、捌くあの技術は想像絶する修錬の果てだと、素人のおれにだって理解できる。

 

それらは理解できるし、今のおれなら頷ける――――が、母ちゃんの存在感はまったく理解できない。

正直に言おう。おれは畏怖している。

母ちゃんの背はまるで、皆既日食のフレア。

今はまだ影に隠れているが、一度でも顔を覗くものなら、全てを焼き払う炎が襲い掛かるように見える。


「――――で、さぁ、動物とか・・・・・・・・・って? 拝聴しているのか、お前?」

 母ちゃんの眉が上がる。訝しげにおれの顔を見窺うので、緊張感は呵責になる。


「はぁ〜まぁ、良い。それより、これから出掛けるぞ」


「何で?」

「客が来るって言ったろうが? だから、お前をどこに出しても恥ずかしくないよう、コーディネートしてやる」

 つまり、アーケードで経営するブティックに行くという事だろう。だが、おれはもう高校生だ。母親と一緒に街に、行きたいなんて思わない。


「やだよ。母ちゃんと一緒に歩くと、目立ってしかたがない」

 否定するおれの言葉をどう受け取ったのか、母ちゃんの顔は満面な微笑を作り上げ、おれの肩をバシバシ叩いた。風切り音が聞こえるほどのスイングで。


「何だよ、綺麗な母ちゃんだからって恥ずかしがるなって!」

 バシバシ叩く掌だが、おれの身体は一発ごとに蹈鞴を踏むほどの一撃である。

 毎日のトレーニングが、顕著に表れる瞬間でもある。


 ――――父ちゃん、おれ。母ちゃんの平手打ちにもぶっ飛ばなくなったよ・・・・・・・・・

 仏壇に飾られるおれの父、真神仁の遺影に眼を向ける。

 銀髪に丸い眼鏡の奥で、何に微笑んでいるのかと問うことは出来ても、返答のない写真。

顔は、おれと良く似ている。だが、去年の四月二〇日。母ちゃんは俊一郎さんとアヤメさんが、「仁に似てきた」という何気ないセリフに、酒の酔いすら消し飛ばしてムキになった。


「あぁ? 似てねぇよ。むしろ、私に似ている」

どうおれと並んでも、似ていない母ちゃんは否定するし、その話題になると滅多なことでは口を閉ざさない俊一郎さんやアヤメさんが、黙してしまう。

年齢以外で怒る母ちゃんはあれが初めてだった。

どうして、いきなり怒ったのかと気になって、俊一郎さんやアヤメさんに問いただしても、二人は口を閉ざしたままだった。母ちゃんに聞けば、


「あぁ〜? どこをどうとっても、お前と私はそっくりだろう?」

 胸座掴んで脅迫され、終止頷くだけしか出来なかった。

我が母ながら、おれは理解できない。この人のやる事成すこと、やり過ぎ気味で何でも感でも、手は出る足は出る人だ。

胸中で溜息を連発しているおれを尻目に、母ちゃんは買ってきた酒類を冷蔵庫に入れる。そして自分の部屋からマネキンを脇に挟んで、居間に戻ってきた。

 怪訝となるおれを無視し、カーテンを閉めてマネキンを置く。


「さてと、じゃー出掛けるから、玄関から靴を持ってこい」


「うん? うん? なぜ玄関から靴を持ってこなきゃいけないんだよ?」


「お前、私と一緒に出掛けるのが恥ずかしいんだろう? だから、裏口から出るんだよ」

 なるほど・・・・・・・・・でも、それは街に行く事であって、一緒に玄関から出る程度なら気にしないんだけど。


「ほら、早くしろよ」

 促されるまま、おれは玄関からスニーカーを持って、台所の裏口から母ちゃんと出る。

 裏口から庭に繋がる車庫の扉を開けると、中には自家用車がぽつんと一台ある。

 母ちゃんの愛車は、真っ赤なフィアットだ。

 ちなみにご近所のアヤメさんは、赤いボディーに黄色のラインを入れたクーパー。

二台とも、小さなナリは見せかけだ。スポーツカーなんて、鼻歌混じりに抜き去るポテンシャルを持っている。

ツィンターボに加速重視のセッティングと、足回りに重点を置いたカスタムが自慢らしく、アヤメさんと母ちゃんは「峠の女王」とか噂されていて、走り屋たちの憧れらしいと、駿一郎さんはクールに笑いながら言っていたのを、思い出す。

走り屋たちは、悲しい事に二人の年齢を知らんからはしゃげるのだ。


「おっ? 綺麗だ・・・・・・・・・美殊のヤツは、洗車までしてくれたのか?」


「いや、昨日の晩までちょっと美殊は体調を崩していたから」


「じゃ、お前が?」

 振り返っておれを見上げる――――ハイヒールを履いた母ちゃんは、去年までおれが見上げていたのに、今はもう目線が逆転していた。


「うん」

 そう答えると、女性にしては豪快に歯を見せる微笑みになる・・・・・・・・・ある意味、童女のようだ。しかし、微笑したら母ちゃんは手が出る。

今度も肩かな? なんて、甘かった。

 腹筋に突き刺さる拳に、おれの身体は前屈みになってしまう。痛いってもんじゃない。抜けていった衝撃に、背中の皮膚まで火傷のような痛みが走る。


「このヤロウ〜! トップが鏡みたいに私の顔を映すじゃねぇか。それに、何時の間にか私の身長を抜いてるんだよ?」

 さらに殴られ、肺にある空気を残らず吐き出す。すみません――――二度目はミゾです急所です・・・・・・・・・目が、目が回る・・・・・・・・・


「うん? お前、腹筋がえらく硬くなっているな?」と、フラフラなおれの肩を掴んで無理矢理立たせる。


「こんだけ硬いと、ちゃちなナイフくらい平気そうだな?」

 その腹筋を突き破るようなボディーを喰らわす人が言いますか?

 何とか両足を踏ん張って立つと、母ちゃんは車には乗らず、バンパーで屈み込んで作業を始める。それが終わると後部に回り、ナンバープレートの前で屈む。

 徐に両手で掴み、ワンタッチで取り外したら別のナンバーが顔を出した。


「何、やってんの!」

 偽造ナンバーは犯罪だ。それくらいおれにだって解る。


「うん? もしかしたら飛ばすかもしれないし、色々用心しなきゃな」


「飛ばさないように安全運転すればいいじゃん!」


「だから、安全運転するための保険みたいなもんだって」

 頭が痛くなってきた・・・・・・・・・この人の不審な行動は今に始まった訳じゃないから。

 そして、母ちゃんは世間の常識に縛られないことを改めて、思い知らされた。ぐったりとしているおれの心境なんて、母ちゃんは解らないよね?

 だから、そんなに軽い足取りで運転席に乗り込めるんだ。


「ほら、さっさと乗れよ」

弾むような母ちゃんの命令に従って、おれは右側の助手席に座る。シャッターはリモコン式で自動に開けられ、左座席に座る母ちゃんはMDコンポのボタンを押す。

狭い車内に流れる軽快な(エイト)ビートと共に、フィアットはリズムに合わせて発進する。


「飛ばすぜ、ボーイ?」

おれを悪戯好きな横目で見ると、いきなりフィアットは加速。ターボに火が付き、直角コーナーで後輪を滑らせながらプロもびっくりの、コーナーリングを鮮やかに決めやがった。


「イヤーッホー!」


 危なっかしいコーナーリングは左右と続ける。

おれは駅前アーケードにつく頃には、五体満足でいられるだろうか?

この危険人物はなぜ、両手に千切れた手錠がないのか不思議でしょうがない。

 

 

 

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